扉1 

   扉                           
 

 そろそろ店を出て帰ろうかと思ったとき、Yは話し出した。

「 大学のゼミが終わったあとよく喫茶店に行ったよな。
4回生の最後のゼミの後も3人で行っただろ。
あの時、喫茶店を出た後で、俺だけ喫茶店に戻ったこと覚えているかい。」
 
 そういえばそんなことあったような気がする。
当時、ゼミの教授の鋭い攻撃に3人は毎週金曜日3時30分には、疲れきった顔をしていた。
1週間に1度のゼミが終わると、言葉を出す気力もなく、駅に行く途中にある喫茶店に向かった。
 喫茶店は、古風な感じで中は広くテーブルが20席ほど、奥にカウンターがあり、ダークブラウンに統一されていて少し薄暗く落ち着いた雰囲気だった。
時間帯によるかもしれないが、何故か客はいつも少なくマスターひとりで切り盛りしていた。
それでも、大学が近いせいか、稀に学校で見たことのある顔も目撃している。
いつも3人は、壁際のテーブル席に着き1時間ほど時間をとった。
そして、教授からそれぞれが投げつけられた脳に突き刺さる言葉の数々を出し合って笑いあっていた。
 最後のゼミは12月の半ばだったと思う。
3人はそれぞれ就職して地方に散らばった。
今日は、たまたま地元に3人とも帰っていたので連絡を取り合って、駅前の店で当時の出来事を肴にテーブルを囲み、酒を飲んでいた。
あれからもう5年は経っていた。



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[ 2006/12/28 17:55 ] | TB(0) | CM(0)

扉2 

 Yは、相談したいことがあると言って話を続けた。

「 あの日は、俺がゼミの発表日で、前日は徹夜に近い状態で最悪だった。
朝から少し熱っぽくて調子がすごく悪かったんだ。
ゼミも堪えたし、喫茶店に行く途中の道の冷たい風も酷かった。
早く帰った方がいいだろうなとは思ったけれど、発散させないと余計酷くなるかもしれないなとも思えたので行ったんだ。」

 確かにそうだった。
いつものゼミでは、Yは論理の切り返しがうまく、教授の鋭い質問を受け止めながら、徐々に他の話題に話を移して行く技術を持っていた。
私は、考えている振りをして批評家の位置をキープしていたし、もう一人のMは、反応が微妙にずれていて面白いので、かわいそうに教授の餌を担っていた。
 当日のYは、何時もと違って酷かった。
質問に何回も立ち往生した。
Yがこんなに不調なのは二回目だった。
前回の時は、理由は聞かなかったが風邪ではなかったと思う。
おかげで私に質問が回ってくるし、それを何とかクリンチで凌ぎ、Mに順に回していた。
Mなんて一言言葉を発するごとに、教授の真っ赤な口から繰り出されるパンチに右に左に揺れていた。



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[ 2006/12/28 17:54 ] | TB(0) | CM(0)

扉3 

 Yは、当日の出来事を語り出した。

「 喫茶店に入って壁際のテーブル席に座り、3人ともコーヒーを注文して、Mはチーズケーキを追加した。
俺は、テーブルの灰皿からブルーマウンテンと言う店名の入ったマッチを擦ってタバコに火を点けた。
音楽は、アルビノーニのアダージョが、低く流れていた。
そして、何時ものように教授ネタを出し合った。
 30分ほどして、俺は腹の具合が悪くなりトイレに行った。
あそこのトイレは、窓がなくって電灯も暗く、入り口のドアを閉めると外の音が遮断され、急に夜になったような感じがする。
入り口から真っ直ぐ通路があり、右手に黒い扉が順に2つ、奥に向かって並んでいた。
 俺は、2つある個室のうち手前の方に入った。
俺は、扉の方を向いて洋式トイレに座り、扉に書き込まれた落書きをぼんやり眺めていた。
しばらくして、入り口のドアが開き、引き摺るような足音が左から右へ通過し、奥の方の個室に誰かが入った。
それから少しして、風邪のせいか足元から悪寒が襲ってきて、俺は小さな声で呟いたんだ。

『 寒いなぁー。』

そうすると、奥の個室から声が返ってきた。

『 やー、久しぶり。』

 若い男の声だった。
誰だか分からなかった。
同級生かな・・・・・・。
似たような声の奴が居たような気もしたけれど、俺は、有り得ないと思った。
このまま返事をしないのも気まずいので、まあ、いいかと思って返事をすることにした。

『 久しぶりやなぁ。』

少し沈黙があった。
そして、隣から声が聞こえて俺は答えた。

『 青山さおりどうしてる?』
『 K病院に入院してる。』



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[ 2006/12/28 17:53 ] | TB(0) | CM(0)

扉4 

 奥の個室の人物の声が小さく低くなった。

『 後で携帯掛け直すわ。』
『 ・・・・・・・・・・。』

少し間を置いて、カサカサという音がして、右側の間仕切り壁近くから声が聞こえた。
薄い板の壁にべったり口をつけて言ったんだ。

『 見つけたぞ・・・・・・・・。』

低い呻きともとれる声が、今も耳に残っている。
 俺は、トイレから逃げ出した。
俺はその時、何のことか分からなかった。
青山さおりは、同じ高校の一つ下だった。
美人というより、可愛い子だった。
好きだった奴も結構いたと思う。
俺もその内の一人だった。
大学に入ってから何回か電話を掛けたことがある。
俺は相手にされなかったが、どうしているか何時も気になっていた。
俺たちが四回生だった年の秋頃に、入院したということは知っていた。
 とにかく、俺は、その時早く喫茶店を出たかった。
でも、お前たち、話し盛り上がってたし、言いづらくってな。
席に戻って、初めはビクついていたが、だんだん気持ちが落ち着いてきた。
店にいた数人の客は全て出て行った。
店はマスターと俺たちだけだ。
俺は何も悪いことしてなかったし、3人なら勝てる。
そして、どんな奴が出てくるか、トイレの方を見ていたんだ。


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[ 2006/12/28 17:52 ] | TB(0) | CM(0)

扉5 

 ところが、出てこないんだ。
そいつは、トイレから出てこないんだ。
かなりの時間が経っていた。
俺は、トイレを注意してずっと見ていた・・・・・。
 話が出尽くし、そろそろ帰ろうかとなって3人別々に会計をした。
お前たち2人は、順にコーヒー代を支払い喫茶店を先に出ただろ。
その後、俺は、レジを打っているマスターに聞いたんだ。

『 わたしが、トイレに行ったの覚えていますか?』
『 覚えてますよ。』
『 わたしの後で入って来た人、覚えてますか?』
『 いえ、誰も入って行かなかったと思いますが・・・・・。
 カウンターが私の定位置ですし、その奥がトイレだから・・・・。』
『 そうですか・・・・。』

 俺は、コーヒー代を払って店を出た。
店を出て、お前たちと数歩あるいた。
しかし、どうしても気になって、忘れ物をしたことにして、お前たちを先に帰し、俺は喫茶店に引き返したんだ。
店に戻る話をお前たちにしている間も、俺は店の方を注意していた。
俺たちの後、誰も店から出て来ていない。



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[ 2006/12/28 17:51 ] | TB(0) | CM(0)

扉6 

 俺は、喫茶店の扉の前で一呼吸した。
そして、扉を開け店の中を注意深く見回した。
客は誰も居なかった。
音楽だけが、流れていた。
奥のカウンターから、マスターがこちらを見た。

『 店から外に出たら急に腹の具合が悪くなったので、
すみませんが、トイレを貸してください。』

マスターの了解を得る前に、トイレに進んだ。

『 奥の方は、水道が壊れているので使っちゃだめですよ。』
『 えっ、何時から?』
『 先週から、閉鎖です。』

 マスターが、俺の顔をチラッと見た。
俺は構わずトイレに入った。
トイレの入り口の扉が、俺の後ろで閉まった。
暗くなって、音楽が消えた。
何処かで、モーターの回転音が、低く微かに響いていた。
 俺は、ゆっくりと進んだ。
手前の個室の半開きの扉から中をそっと覗いた。
人がいそうな気配はない。
奥の個室のドアの前に進んだ。
黒い扉は、閉まっていた。
染みがついた閉鎖の張り紙が、扉と柱にまたがって貼ってあった。
俺は、扉に右の手のひらをあてた。
・・・・・・・・・・・・・・・
俺は、何故か迷っていた。」 



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[ 2006/12/28 17:50 ] | TB(0) | CM(0)

扉7 

 時間が流れて行く。
私は、注意深く次の言葉を待った。
しかし、Yの言葉は止まってしまった。
そして、私は向かい合って座っているYの視線が、私を通り越していることに気付いた。
Yは、右腕の肘をテーブルにつき、右手を口に当て、向かい合っている私の肩越しに、私の左後ろを注視していた。
右手が小刻みに震えている。
表情が、強張っている。
 私は、振り返って左真後ろを見た。
ひとテーブル挟んで、向こうの壁に黒い縁取りの鏡があった。
鏡には振り返った私とYの顔が映っていた。
気まずい雰囲気と沈黙が続いた。
そして、Mが取り繕って言った。

「 もう、遅いので、今日はお開きにしましょう。
まあ、続きはこの次ということで・・・。」

 3人は、黙って席を立った。
勘定を済ませて飲み屋の前でYと別れた。
Yは、黙ったままだった。
 私とMは、家が同じ方角なので、線路沿いの暗い道を2人並んで歩いた。
無言のまま、薄暗い街灯を何個か通り過ぎた。
酔いが醒め、寒い風に体が冷え始めていた。
Mが私に言った。

「 Yは、また、仕事を変わったらしいよ。
今まで、何回も仕事を変わっているよな。
能力のある奴は、より高い物を求めるんだろうな。」

 私は、違うと思ったが反論しないでおいた。
そして、頭の中でYの話を反芻していた。
少し間を置いて、Mは私の顔を見ながら言った。

「 あの喫茶店、昔、青山さおりの兄がやってたんだよ。」
「 えっ。」

私は立ち止まった。

「 青山は、友達だった。
当時、妹にしつこく掛かって来る電話の主を探していた。
誘き出そうとした時、轢き逃げに遭って死んでしまった。
目撃者も無くて、犯人は分からない。
喫茶店も直ぐに人手に渡った。」

Mは、チラッと私の眼を見てから視線を逸らし話を続けた。

「 妹は気を病んで入院したよ。
自分を責めたんだろうな。」

私は、それだけではないことを知っていたが頷いておいた。
Mはそれ以上何も言わなかった。
 私とMは、再び無言で道を歩き始めた。
そして、私は暗い道を歩きながら、先週、青山さおりが泣きながら私に投げつけた最後の言葉の意味を考えていた。
Mと別れるときに思った。
黒い扉が開こうとしている。


完了

読んで頂き有難うございました。


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[ 2006/12/28 17:49 ] | TB(0) | CM(0)
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